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【転職体験談】新卒で入った会社を2年5か月で辞めた話③ ~「原因はオレか」「そうです」~

2話はこちら

 

こんにちは、ホワイトチャンネル(@WHITEChannel3)です。

昨日は久しぶりに紐解いた「名探偵コナン」の新一&蘭の恋エピソードにどっぷりハマっておりました。

私、小学1年生の頃からのファンなのですが、コナン、新一の年齢は当に過ぎ去ってしまいました。

次は毛利小五郎(37歳)の方が近いです。

人生は一度きり。恋愛にかける時間も大事ですが、大切な人と過ごす時間をつくっていきたいですね。

さて、本日も続きを書きます。

昨日までの記事は以下をどうぞ。

www.white-channel.site

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思いとどまるも状況は変わらず、むしろ悪化

一度は思いとどまった退職ですが、その後状況は好転することはありませんでした。

「辞意を表明したから」という理由で疎外されることは一切ありませんでしたが、仕事量の調整もありませんでした。

当時、追い詰められていた理由としては

〇どんどん増える仕事量、将来も減る予感はなし(むしろ増えていく一方)

〇顧客への納期が間に合わず、社内調整をかける日々(終わりが見えない)

〇会社というコミュニティへの違和感(自分⇔それ以外の人、自分が異物である感覚)

などが挙げられますが、

どれか一つなら耐えられたかもしれませんね。

「仕事やプライベート、趣味など、(自分が生きる)色々な世界をもっておけ。」

と言われますが、仕事の中においても、複数の世界をもっておくとよいかも知れません。

何事もポートフォリオを組む(リスク分散する)ことが重要だと思います。

「得意先、増やすから。頑張って。」

2018年3月、わたしは担当する顧客が4社→10社に増えました。

これが大きなターニングポイントだと思います。

当初、わたしは新人にしては破格といってよい大口顧客を担当していました。

その後、その顧客をさらに開拓した私は、その顧客だけで仕事量が2倍になっていました。

開拓した大口顧客の新しい仕事は、新ブランドの立ち上げに関わる重要な仕事。

こちらに集中している時期でした。

そこで一気に追加されて6社。実はこの6社、別部署の先輩の得意先だったのです。

その先輩が、自身の多忙を理由に部長に泣きつき、あろうことか部署を越えてわたしにまわってきたのです。

正直、信じられませんでした。

今思うと、仕事があるのは普通、有難いことですよね。期待されているともとれますし、ここで結果を出せば評価されるチャンスとも言えます。

しかし、その会社でやっていくつもりが失われつつある人間にとって、それはただの重荷でしかなかったです。

これから会社には、こういう当時のわたしみたいなモチベーションになっている人が多くなると思います。

そんなとき、その人のモチベーションを図り間違えると、恐らくその人は十中八九辞めます。

これからの管理職には、そこを見極める能力が一層求められると思います。

呼び出された午前8時「じゃあ朝きてやれば」

2018年4月、わたしは課長に出勤1時間前の8時に呼び出されました。

内容は、「君の担当顧客からクレームがあった。君を表向きは担当を外し、窓口はオレがやるから、実務は引き続き全部頼むね」というものでした。

このとき、わたしにクレームの理由の説明はなく、弁解の余地も与えられませんでした。

さらに、当時の負荷状況を説明し、仕事量を調整してほしい旨を伝えたところ、

「じゃあ朝きてやれば。」の一言で片づけられました。

この時、わたしの課長に対する信頼は一切なくなりました。

ある日はじまった動悸、崩れゆくメンタルのバランス

 ちょうどこの頃を境に、職場で動悸がするようになりました。

それまでの人生、ありがたいことに家族や友人に恵まれ幸せに過ごしてきた私は、はじめそれが「動悸」だと気づきませんでした。

気づいたのは、課長がわたしの席の後ろを歩くときに、一気に心拍数が上がるのを感じたときです。

体が疲れやすかったりはしていましたが、とうとうフィジカルにも不調が表れはじめました。

一度気づくと、そこからは一気にエネルギーが消耗していったように思います。


きっかけは「午前3時」

 5月30日。真夜中午前3時、当時実家だったわたしは母親に揺り起こされました。

「どうしたの?」と寝ぼけた私。

「どうしたって、こっちのセリフよ。あんまり大声で叫ぶから、飛び起きてきちゃったんじゃない。大丈夫?」と母。

確かにそういわれると、汗びっしょりでなんだかぐったりしています。

夢も見ていて、仕事で納期調整をしているという内容も覚えていました。

しかし、叫んでいたことはまったく記憶にありません。

私は人生で初めて、記憶を失った経験をしました。

正直なところ、仕事の夢は1年前からほとんど毎日見るようになっていたので、もはや当たり前になっていました。

しかし、大声で叫んで、その記憶もないとなると…

「潮時だな」

率直にそう感じました。

辞意を表明「原因はオレか」「そうです」

 翌日、午前中仕事を休んだわたしは、午後出社後すぐに課長に「お話があります」と伝えました。

その際、「忙しいからあとで」と終業後に時間をとると伝えられました。

このとき、「こんどこそ正解だ。オレはぜったい辞める」と肚が決まりました。

面談。

 

「辞めます」

「原因はオレか」

「そうです」

「オレが異動してもダメか」

「辞めます」

 

このやりとりを本当にしました。

流石に今度はわたしの意志が堅いことを察知した課長は、「一旦持ち帰らせてくれ。部長と相談する」ということでその場は終わりました。

後日、部長との面談では

「本当に辞めるのか」

「辞めてどうするんだ」

「行きたい部署があれば検討するぞ」

等、けっこういろいろな引き留め文句を言われました。

しかし、残ったところで、今より状況が良くなることはない。

その確信があったわたしは、一切気持ちが揺らぐことはありませんでした。

辞めた後の人生に、強い希望を感じていました。

「なんでオレにやらせて昼飯くってんだおまえ」

 ちょっとストーリーから外れますが、辞めるという決断には、「小さなきっかけ」が積っていったことが大きく影響しています。

例えば、先輩からの一言。

「なんでオレにやらせて昼飯くってんだおまえ」

状況説明を省いていうのはずるいのかもしれませんが、私はある仕事を中断してお昼に行きました。

その部署では昼食も摂らないで仕事することを是とする人も多く、私も最初はそれに倣っていました。

しかし、その結果体重は5kg落ち、成人男性で53kgとなっていました。

そんな中ランチにいったら、先輩からの感情的な一言。

こういわれると、「昼食1時間休憩は雇用契約で保証されている権利だ」と言い返してやりたくなります。

こういう細かいところに、その会社の体質、本質は表れます。

そこに合わないとなると、その後その違和感は増幅こそすれ解消されることはありません。これは断言できます。

 

4話へつづく

 

また長くなってしまいました。

あと1,2回で終わると思います。

 

実は今回、こういう内容を書くことに躊躇していました。

正直、まだわたしは当時のことを消化しきれてはいませんし、会社や同僚に対して感謝の気持ちは持てていません。

そんな状態で書けば、見ての通り感情的な記事になる。

わたしは人の悪口を言わないことを人生において大切にしているので、そもそも書かなければ悪口を言わずに済む。

こう考えていました。

 

しかし、それでも、ありのままの自分をさらけ出す。

 

そうすることにも、何か意味があるんじゃないか。

 

そう思い、迷いながらではありますが書くことにしました。

数年後振り返ったとき、この記事を笑い飛ばせる自分になっていたいと思います。

 

そして、今のこの記事でも、誰かのためになればいい。

Do for Others.

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。